『一水四見』(いっすいしけん) リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 同じ‘‘水’’を見ても、見る者によってはそれぞれの捉え方があるという事。 物の捉え方は人それぞれに違い それで良い。 他人に自分と同じ様に物事を捉えて欲しいと願うのは無理がある。 かと言って、無理に他人と同じ様に捉えようとしても無理なんです。 違っていて当たり前 だから無理して合わせなくて良い リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
『有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)へ帰る一休み雨ふらばふれ 風ふかば吹け』 「一休さん」の言葉にこんな言葉があります。 『有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)へ帰る一休み雨ふらばふれ 風ふかば吹け』 一休さんの名前のきっかけになった言葉です。 有漏路は、迷い、囚われている姿 無漏路は、悟りの姿 人は本来仏性を持って生まれて来るのだから悟りの世界にいた。 しかしこの世に生まれて迷い囚われる。 そして本来ある無漏路へ帰る途中(輪廻)の休憩が今だ。 そんな一瞬の今世、雨風が吹いてもそれもまた一瞬の出来事。 大したことはない、という意味だそうです。 「辛い時間も永遠には続かない」 だから、そんなに悩まなくてもいい また「この世にいる人間は、みんな有漏路を生きている」 だから、あなたと、大して変わりない(笑) そんな風に受け取ってます。 続きを読む
『真玉泥中異』しんぎょくでいちゅうにことなり 人の不幸は他人との比較から始まる。 と言う事をよく聞きます。 同じ仕事をしてるのに、業績が自分とは比べ物にならない とか 会社経営にしても、業績をあげている会社の事が羨ましくなったり、自分は不甲斐ない … なんて思ったり 禅の言葉に 『真玉泥中異』しんぎょくでいちゅうにことなり と言う言葉があります。 本当の宝石は泥の中にあっても輝きを失わないという意味。 いろんな境遇があります。 うまくいかないこともあります。 何をやってるのかわからなくなるようなことも … でもそんな中でも、自分を信じて一生懸命に取り組み続ける姿勢は、泥の中の宝石のように輝いているものです。 他人と比べたり、将来を悲観したりしても、何も変わらない。 それよりも、自分を信じて 今、目の前のことに一生懸命になる そんな姿をみんなはほっとかない。 だから明日も一生懸命! 素敵な 1 日を過ごしましょう 続きを読む
雨洗風磨(うせんふうま) 人生を生きて入れば多かれ少なかれ、辛い経験はあるものです。 好奇心旺盛で、何にでもチャレンジする人は 普通よりたくさんの失敗を経験しなければならなくなります。 禅の言葉に 雨洗風磨(うせんふうま) というのがあります。 雨や風にさらされることによって心が洗い清められ、磨かれるという意味だそうです。困難や苦難に立ち向かい、それでも前に進む事は、自分自身の大きな成長となると説いています。 安全な建物から一歩外に出れば、雨風にさらされます。 それは、苦難の道、できればさらされたくない でも一歩、動かなければ成長はない。 続きを読む
「心こそ 心迷わす心なれ 心に心 心許すな」 生まれながらに持っているややこしいもののひとつ ‘‘心’’ これはホントにややこしい(笑) 喜怒哀楽と勝手にコロコロ変わるし 知らん間に病気になるし 自分の‘‘心’’だけでも大変なのに 皆んなが持ってるもんだから 余計にややこしい(笑) ややこしいんです。 これに振り回されるなんてもう真っ平御免 付き合ってられません(笑) 禅の言葉に 「心こそ 心迷わす心なれ 心に心 心許すな」 沢庵禅師の言葉だそうです。 人はいっときの感情によって 本来の心が惑わされる。 本当の心を見失わないように いっときの感情には気をつけろ そう気付かせてくれます。 心の健康と自由を手に入れたいですね✨ わかっていても……ですけどね(笑) 続きを読む
『好事不如無』こうずもなきにしかず 人に親切であれば、相手から感謝の言葉が返ってきたり、笑顔が返ってくる。 とても清々しいものですね。 これは、言わば人と人との原則のようなものかも知れません しかし本来頂く以上のもの、例えば謝礼を貰うなどしてしまうとおかしな事になる。 禅の言葉にこんな言葉があります。 『好事不如無』こうずもなきにしかず 良い事があるとその事に囚われてしまうのが人というもの 先の例で言えば、本来なら「ありがとう」の言葉だけでも十分なのに、何かいただいたりしてしまうと 次にする親切にも変な期待をしてしまい、それが煩悩となってしまう 期待通りにならなければ、ガッカリする事にもなる。 これでは期待する方にも不幸だ 逆に期待してると思われても困るので、次の親切をためらう事もある。 だから「良い事があったとて、なかった事と同じ」だと言っているのです。 同時に、「変な期待はしてはならないよ」とも教えています。 感謝の気持ちを伝えるのに必要なものは やっぱり感謝の言葉と笑顔が一番大切だ ✨ 続きを読む
『孤雲本無心』(こうんもとむしん) 「職場で、周りの人から仕事ができ無い人間として扱われていて、やり辛い」 遠くを見る目が寂しそうでした。 その方は、早期退職をして転職したばかり 「誰でもはじめは素人だし、誰でも失敗はあるもんですよ」とお伝えしましたが 「まぁね …… 」と沈黙 人はレッテルを貼られると、そのレッテルに近づいてしまう事がよくあると思います。 そのレッテルに囚われてしまうんですね。 その事を知っていて、意図的に人にレッテルを貼る様な ひどい人もいます。 レッテルと言うのは多くの場合 立場が上の人がつける。 だからタチが悪い この方の周りの人がそういう人かどうかは分かりませんが 禅の言葉に 『 孤雲本無心』(こうんもとむしん) があります。 青空に浮かぶ一片の雲は、何者にもとらわれたりしないと言う意味だそうです。 そんな雲の様になれたら どれほどの人が心救われるだろうか なかなか難しいだろう でも確かな事がある 「雲は誰からの評価も受けつけない」(笑) 自分の事を評価出来るのは自分だけ 他人に分かろうはずが無いのだから この方は、その後会社をお辞めになりました。 私は、その選択が正解だと思います。 人生は、もっとわがままでいいんです。 自分が笑顔で居られる場所を探せばいいと思います。 続きを読む
『おさな子がしだいしだいに知恵づきて 仏に遠くなるぞ悲しき』 「最初の頃は、純粋に楽しめた」 私は、釣りが趣味です。 最初の頃は、どんな魚でも釣ることが楽しかったものです。 でも、次第に欲が出てきました。 もっと大きな魚を、もっと高級な魚を 人から「すごい」といってもらえるような魚を 釣りたい! いつしか、小さな魚が釣れても 「こんな魚食べれない」とか ファミリーフィッシングなんて付き合ってられないとか 本当の釣りの楽しさを見失ってしまう これは釣りに限ったことではありません 仕事においても、家族においても 知らないうちに欲が出るんです。 もちろん向上心やチャレンジ精神は大切です。 でも、初心もとっても大切です。 こんな詠があります。 『おさな子がしだいしだいに知恵づきて 仏に遠くなるぞ悲しき』 一休さんが、着飾った、形ばかりの中身の無い、物欲と出世欲に囚われた当時の僧侶を痛烈に風刺した詠です。 幼い子供の頃は純粋な心で生まれてきます。 でも、大人になるにつれて常識と言う枠にとらわれ、要領や世渡りを覚え、本来持っていた純粋な部分を失ってしまう事を悲しんでいるんですね。 室町時代の詠です。 僧侶に限らず、今の世の中にも当てはまることですね。 何のために始めたのか? 今、改めて自分に問う 続きを読む
『長者長法身、短者短法身』(ちょうじゃちょうほっしん、たんじゃたんほっしん) 「人の倍働いて、人の倍の成績を出して、人の倍給料をもらってるようじゃ、ダメなんじゃない?」 衝撃でした 勤め人の頃、営業成績トップを取ったときに、当時の部長から言われた言葉です。 僕はてっきり褒められると思ってたときにこの言葉(笑) 確かに人の倍働いて、やっと人の倍の成績だと、すぐ限界がきます。 そう考えると部長の言葉ももっとです。 世の中には人と同じだけの仕事で、人の 3 倍以上の成績を出すスーパースターもいます。 今でも、そんなスーパースターの仕事のやり方をセミナーで学んできて、僕に教えてくれる友人がいます。 「こんな風にして仕事するんだって」って感じです。 すごいなぁ~とは思います。 でも自分で同じ事をしようとは思いません。 成績を上げる事が僕の人生の目的ではないし スーパースターに憧れもありません 禅の言葉に 『長者長法身、短者短法身』(ちょうじゃちょうほっしん、たんじゃたんほっしん) があります。 この言葉は、桜には桜の良さがあり、菊には菊の良さがあるという事を教えてくれます。 それぞれに個性がありますよね。 それに反して、桜の花びらを菊のように沢山の花びらにさせる事は出来ないし、菊の花に桜の木に咲けと言っても出来ない。 桜も菊も全く違う花だけど、それぞれに個性がある花を咲かしていてそれで良い 人も同じで、特徴(個性)があるから、魅力的なわけです。 それを無視して、桜に菊の真似をさせる事は出来ないし、その逆も然り 自分にあった自分らしい仕事のやり方で良いんだと思います。 も~とも~と特別な 🎶 オーンリーイワーン 続きを読む
『八風吹けども動ぜず』 はっぷうふけどもどうぜず おはようございます。 昔、恐ろしく怖い上司に言われた言葉で今でも覚えている言葉が有ります。 それは 「モチベーションで仕事をするな!」です。 モチベーション=動機付け、あるいは意欲、やる気とも説明されます。 その言葉を聞いた時未熟だった僕は 「つべこべ言わずに成績挙げてこい!」と受け止めてしまいました。 めっちゃ怖い~ T_T でもこの上司、二人で話をしてると、とても優しいところがあって 「成績が挙がっても上がらなくても人間の価値は同じだ」 とも言っていました。 本当はすごく優しい人をだったんです。 「モチベーションで仕事をするな」 の本当の意味は …… 禅の言葉にこんな言葉が有ります。 『八風吹けども動ぜず』 はっぷうふけどもどうぜず 八風とは、人心を動揺させる八つの幸不幸の風を指します。 利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽のこと 人は誰でも、褒められたいとか、称賛されたいとか楽したいとか願うものです。 そして実際にそうなれば嬉しいし、さらにやる気にもなるものです。 逆に、けなされたり、苦しめられたり評価されなかったら、やる気も出ないものです。 八風吹けども動ぜずとは、人生生きていればいろんな風か吹く それは辛い風かもしれないし、幸せな風かもしれない。 いい風かもしれないし悪い風かもしれない いろんな風が吹くけど、その時たまたまその風が吹いているだけの事 いちいちその風に心を動かされるなかれ、と言う事です。 上司が言いたかったのは 上手く行ったとか、そうで無かったとかいう事に心を動かされるのではなく、自分が納得できる仕事をしなさいと言う事だったんです。 今になって余計に身にしみます。 とはいえ、青空を見れば心が弾むし、曇っていればなんだかね~ 凡人ですから(笑) 今日も素敵な 1 日を … 続きを読む
わが心秋月に似たり 碧潭(へきたん)清くして皎潔(こうけつ)たり 物の比倫に堪うるなし、われをして如何が説かしめん 『我が成す事は、我のみぞ知る』 有名な言葉なのでご存知の方も多いかと思います。 坂本竜馬の言葉ですね。 自分で自分の事をしっかりとわかっているからこその言葉だと思います。 禅の言葉に わが心秋月に似たり 碧潭(へきたん)清くして皎潔(こうけつ)たり 物の比倫に堪うるなし、われをして如何が説かしめん という言葉があります。 私の本当の心は、純粋で一点の曇りもなく澄み切った心。この心は自分自身にしか分からない そして誰に説明する事もできない。 と解釈します。 (禅では、この心をもう一人の自分と言う捉え方をしたりもするようです) つまり、誰にも説明出来ない純粋な澄み切った心は、自分にしか分からない。 この心の声に耳を傾け、この心に問う事で 進むべき道が見えてくるのだと教えてくれます。 進むべき道は、他の誰かに教えてもらう物ではなく、もう一人の純粋な自分との対話から見えてくるのかも知れませんね。 続きを読む