『おさな子がしだいしだいに知恵づきて 仏に遠くなるぞ悲しき』

「最初の頃は、純粋に楽しめた」

私は、釣りが趣味です。
最初の頃は、どんな魚でも釣ることが楽しかったものです。

でも、次第に欲が出てきました。

もっと大きな魚を、もっと高級な魚を
人から「すごい」といってもらえるような魚を

釣りたい!

いつしか、小さな魚が釣れても
「こんな魚食べれない」とか

ファミリーフィッシングなんて付き合ってられないとか

本当の釣りの楽しさを見失ってしまう

これは釣りに限ったことではありません

仕事においても、家族においても

知らないうちに欲が出るんです。

もちろん向上心やチャレンジ精神は大切です。
でも、初心もとっても大切です。

こんな詠があります。

『おさな子がしだいしだいに知恵づきて 仏に遠くなるぞ悲しき』

一休さんが、着飾った、形ばかりの中身の無い、物欲と出世欲に囚われた当時の僧侶を痛烈に風刺した詠です。


幼い子供の頃は純粋な心で生まれてきます。
でも、大人になるにつれて常識と言う枠にとらわれ、要領や世渡りを覚え、本来持っていた純粋な部分を失ってしまう事を悲しんでいるんですね。

室町時代の詠です。

僧侶に限らず、今の世の中にも当てはまることですね。

何のために始めたのか?


今、改めて自分に問う

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