『廓然無聖』(かくねんむしょう)

先日お世話になっている会社にお伺いしたところこんな風にたずねられました。

「周峰さんってホントいつも嬉しそうね。今日は何か良いことでもあったの?」

実はその5分前に、凄く嫌なことがあったんです(笑)

あんまりにも嫌すぎて……

引きずりたく無いし
「は~ぁ」ってため息をついてから

満面の笑みで扉を開けた瞬間に
さっきのようにたずねられました。

僕「すごく嫌なことがあったんです(笑)」

「え~~、てっきり良いことがあったのかと思った」

僕は嫌なことがあった時ほど気持ちを切り替えて笑顔でいる。

そしたら、嫌なことも気にならなくなる。

あの人はなんであんな事言ったのかな?

とか

僕って一体なんなんだろう?

なんて、答えないからね(笑)
あったとしても、知ったところで大して人生は変わらない

それより笑顔でいた方が良い気がする。


禅の言葉にこんな言葉があります。

『廓然無聖』かくねんむしょう

達磨大師の、言葉で『廓然』とは、晴れ渡った空『無聖』とは、特別なものすらも何もないという意味

人間ってなんだかんだと、案じたり、傷ついたり、心を悩ませたりします。

でも本当は何もないんです。

いい加減になれってわけじゃないよ

全ては晴れ渡った空と同じ
何も無い

あるように思って、あるように振舞ってるだけ

辛い事があった?

そっか(笑)

大丈夫!
笑顔でいればそのうちなんとかなる(笑)

心の天気は自分で自由に選択できます。

外で雨が降ってるからって、心に雨を降らせる理由にはならない。


素晴らしく澄みきった空を思い出して爽やかに……

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わが心秋月に似たり 碧潭(へきたん)清くして皎潔(こうけつ)たり 物の比倫に堪うるなし、われをして如何が説かしめん