『放下著』(ほうげじゃく)
先日、托鉢をしているお坊さんを見かけました。
その方は、全身つぎはぎだらけの法衣をまとい
商店街の各店の店先で般若心経を唱えて回られておられ
ここまで、ものに対する執着と言う囚われから解き放たれたその姿は、何か尊さを感じました。
ところで、托鉢と言うのは、お坊さんの修行の一つですが、同時に喜捨(浄財を納める行為など)をする方の功徳を積む行為でもあります。
それなのにこんな事を言う人がいます。
「私が、喜捨したお金は、ちゃんとしたことに使って欲しい…」
なるほどもっともな話のようですが
私はそこに人間の執着を感じてしまいます。
喜んで捨てたお金を、捨てた後も自分の思うように活かしたいと願う必要はありません。
捨てたことに意味があるのであって、捨てた後の事は心配しなくてもいいんです。
せっかく手放したのに
もうそこに、ものは無いのに
ワザワザその事に囚われる必要なんて無いんです。
似たような話で
私は、先日から断捨離をしております。
使わないものは場所もとるし、保管も大変なので捨てるか、リサイクルショップに買い取ってもらいます。
でも、リサイクルショップってほとんど値が付かないんですよね。
そうすると、「これは高かったのに…」
ってガッカリしたり
「やっぱり売るのはやめます!」
なんて言って持って帰ったりする人もいると思います。
気持ちはわからなく無いんです。
買った時から大切に使ってきたわけですからね。
でも、なぜ断捨離したかったのか?
よく考えれば、自分がスッキリした生活をしたかったから
ものに囚われた生活から解放されたいからだったはずなのに(笑)
かくいう私もリサイクルショップで
「あぁそんなもんなんだね~」なんて笑うしかありませんでした。
禅の言葉に
『放下著』(ほうげじゃく)
と言う言葉があります。
「放下」とは手放す。捨てるという意味です。著は強調の助字。
何事にも執着せずに無心になりなさい。そうすれば人は囚われから解放される。そして悟りにたどり着く
そしてその悟りすら手放して捨ててしまえと言う意味だそうです。
使わなくなったものもさる事ながら
いつの間にか手にしていた
つまらない感情や考え方
日常生活の中でいつの間にか
こういった つまらないものに執着し、また囚われるのが私達人間です。
断捨離ついでに、つまらない感情や考え方の執着も、断捨離しようと思います。
最初に紹介した托鉢をされていたお坊さんは
執着から解き放たれた自由な心を持っているのだろうなぁ
人間、何も持たずに産まれて、何も持たずに逝くのなら
持っていてもつまらないものは放下著