『無功徳』(むくどく)

こんな話を聞いたことがあります。

「人間には3つの‘‘たい”がある」

1つは褒められたい
2つ目は認められたい
3つ目は役に立ちたい

誰にでもある欲求だそうです。

自己承認欲求というものでしょうか


禅の言葉こんな言葉があります。


『無功徳』(むくどく)


これは、達磨大師が、インドから中国に来た時の話

当時の中国皇帝、武帝が、達磨大師にこう聞きました。
「私はこれまで寺を建て写経をし、仏典の翻訳するなど仏教興隆のために尽力してきた。さて、どんな功徳がありますかな?」

そこで達磨大師はこう答えます。

「無功徳!」

功徳など無いという意味です。
どんなに善行を積んでも、褒められたいとか、認められたいためにやったのでは価値は無いと言うことです。

なんとも寂しい気もしますが
誰かに褒められたくて頑張っているのは
まだまだ小僧ということです。

自分が何のために、何を努力しているのかがわかっていれば周りの評価なんて全く気にしなくてもいい

何かを期待して事にあたるのではなく、自分がやるべきだと感じたことを一生懸命にやる。

それだけです。


たったそれだけ

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