『空即是色』(くうそくぜしき)

誰にでも毎日の日課というものがあるかとおもいます。

私の日課は、朝のトイレ掃除と、お勤め(読経)です。

トイレ掃除は、自分の心を掃除する為
お勤めはご先祖様や、生前にお世話になった方々への感謝の為

寝坊した時はサボりますが……(笑)

そのお勤めの中に般若心経があります。

般若心経はなかなか奥の深いお経で
仏教徒であれば宗派によらずこのお経が読まれるのではないでしょうか

それだけ本質的な事が書いてあるんですね

その般若心経には次のような一節があります。

『空即是色 』くうそくぜしき

という言葉です。

禅語として用いられる事もあるようで

意味は

『空』とは実体がないこと

『即』とは対立する二つの現象が実は同一であること

『是』とはこれと言う意味です。

『色』とは物体や現象のこと
眼に映るものと捉える事もできると思います。

目に見える物体や現象は、見えるけど存在しない⁇

僕はこの言葉を次のようにとらえています。

「そこに見える物や現象は自分の心が『今』という瞬間に映し出しているだけで、本来存在はしていない」

悲しい事がおきたのは、自分の心が現実世界に悲しい出来事を映し出した。

嬉しい事が起きたのも同じ

そう考えると、自分に対して客観的になれます。

この世の中の全ては、今その瞬間にあるだけで、永遠には無い

まさに『諸行無常』

悲しい事があっても

辛い思いがあっても

それは今あなたがそう感じているだけ

本当はそんな物は存在しない

だから何も心配しなくてもいいんです

不安な心はまた不安な現象を映し出す事になるだけだから

人生なんて一瞬の瞬き

どうせなら、精一杯楽しく過ごしたいです

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