『百華春至って 誰がためにか開く』(ひゃっかはるいたって だれがためにかひらく)


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私が毎日書いている。
《自分に贈る禅の言葉》はホントに自分の為に書いてます。

落ち込んだ時、調子に乗っている時など、心が揺れている時に禅の言葉は、本質を教えてくれます。


禅の言葉に
『百華春至って 誰がためにか開く』(ひゃっかはるいたって だれがためにかひらく)
という言葉があります。

春になって花がいっぱいに咲きます。
それは誰のために咲いているのか?と自問しているのだそうです。

本当の答えはわかりません
でも私はこう思います。
花は誰かのためになろうと思って咲いてはいない。
でもそこに咲いていることで、誰かのためになっている。

時にはそんな花のような存在でいたいな

人気のある禅語

『有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)へ帰る一休み雨ふらばふれ 風ふかば吹け』

雨洗風磨(うせんふうま)

『真玉泥中異』しんぎょくでいちゅうにことなり

『花謝樹無影』はなしゃしてきのかげなし

「心こそ 心迷わす心なれ 心に心 心許すな」

『長者長法身、短者短法身』(ちょうじゃちょうほっしん、たんじゃたんほっしん)

『八風吹けども動ぜず』 はっぷうふけどもどうぜず

『おさな子がしだいしだいに知恵づきて 仏に遠くなるぞ悲しき』

『一大事は今日只今の心なり(いちだいじはきょうただいまのこころなり)

『汝十二時に使われる 老僧は十二時を使い得たり』