投稿

『八風吹けども動ぜず』 はっぷうふけどもどうぜず

イメージ
おはようございます。 昔、恐ろしく怖い上司に言われた言葉で今でも覚えている言葉が有ります。 それは 「モチベーションで仕事をするな!」です。 モチベーション=動機付け、あるいは意欲、やる気とも説明されます。 その言葉を聞いた時未熟だった僕は 「つべこべ言わずに成績挙げてこい!」と受け止めてしまいました。 めっちゃ怖い~ T_T でもこの上司、二人で話をしてると、とても優しいところがあって 「成績が挙がっても上がらなくても人間の価値は同じだ」 とも言っていました。 本当はすごく優しい人をだったんです。 「モチベーションで仕事をするな」 の本当の意味は …… 禅の言葉にこんな言葉が有ります。 『八風吹けども動ぜず』 はっぷうふけどもどうぜず 八風とは、人心を動揺させる八つの幸不幸の風を指します。 利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽のこと 人は誰でも、褒められたいとか、称賛されたいとか楽したいとか願うものです。 そして実際にそうなれば嬉しいし、さらにやる気にもなるものです。 逆に、けなされたり、苦しめられたり評価されなかったら、やる気も出ないものです。 八風吹けども動ぜずとは、人生生きていればいろんな風か吹く それは辛い風かもしれないし、幸せな風かもしれない。 いい風かもしれないし悪い風かもしれない いろんな風が吹くけど、その時たまたまその風が吹いているだけの事 いちいちその風に心を動かされるなかれ、と言う事です。 上司が言いたかったのは 上手く行ったとか、そうで無かったとかいう事に心を動かされるのではなく、自分が納得できる仕事をしなさいと言う事だったんです。 今になって余計に身にしみます。 とはいえ、青空を見れば心が弾むし、曇っていればなんだかね~ 凡人ですから(笑) 今日も素敵な 1 日を …

『好事不如無』こうずもなきにしかず

イメージ
人に親切であれば、相手から感謝の言葉が返ってきたり、笑顔が返ってくる。 とても清々しいものですね。 これは、言わば人と人との原則のようなものかも知れません しかし本来頂く以上のもの、例えば謝礼を貰うなどしてしまうとおかしな事になる。 禅の言葉にこんな言葉があります。 『好事不如無』こうずもなきにしかず 良い事があるとその事に囚われてしまうのが人というもの 先の例で言えば、本来なら「ありがとう」の言葉だけでも十分なのに、何かいただいたりしてしまうと 次にする親切にも変な期待をしてしまい、それが煩悩となってしまう 期待通りにならなければ、ガッカリする事にもなる。 これでは期待する方にも不幸だ 逆に期待してると思われても困るので、次の親切をためらう事もある。 だから「良い事があったとて、なかった事と同じ」だと言っているのです。 同時に、「変な期待はしてはならないよ」とも教えています。 感謝の気持ちを伝えるのに必要なものは やっぱり感謝の言葉と笑顔が一番大切だ ✨

『松樹千年の翠 』(しょうじゅせんねんのみどり)

イメージ
明けましておめでとうございます。 このお正月は、実家に帰っておりました。 兄の家族も帰ってきており、久しぶりに、みんなで食事をとりました。 日頃は、別々に住んでいますので、家族がそろうのは、お正月だけになりましたが、年に一度でも、家族が集ば、いつもの家族の姿に戻れるものですね。 父や母はもちろんのこと、兄も私も少しずつ年を重ねております。 生活の環境も変化し続けています。 日頃は、諸行無常(しょぎょうむじょう)そのままであり続けるものはない、と申しておりますが 家族の絆は変わらないなぁ なんて感じました。 禅の言葉に 『松樹千年の翠 』(しょうじゅせんねんのみどり) という言葉があります。 松の木は、若い木であっても、一千年以上経った古木であったとしても、変わらず緑の葉を付けている。 お正月や、親の誕生日などに、変わらず元気でいて欲しいとの思いを込めて贈る言葉です。 もちろん、木も変化します。 葉も落ちてまた新たに、葉が付くわけですから、少しずつ変わっているんです。 家族だって、ホントは変わっています。 年を重ねれば、親の有り難みもわかるし、年老いていく親の体もいたわりたくなるものです。 少しずつ変化しながらも、変わらない良さがあるものですよね。 僕の両親にも、永く元気でいて欲しいと思います。 今年一年、皆様にとって良い一年でありますように ✨

『因邪打正(いんじゃだせい)』

イメージ
人は、他人の不正を指摘したくなるものです。 例えば、掃除1つにしても「私はちゃんと机を拭くけど、彼は凄く適当」とか ルールを守らない人に対しても… 自分は正しくて(本人の主観です)他人は間違えている(本人の主観です)そう思うと、黙っていられないのでしょうね。 そんな私も、ここで、人が他人の指摘をする事を指摘してるのですが(笑) 禅の言葉に 『因邪打正』(いんじゃだせい) という言葉があります。 他人の不正があるからこそ、自分が正しいという事を知る。他人の正しさがあるからこそ、自分の間違えに気がつくという事 だから僕はこう思います。 他人を批判する必要なんて何もない。 その人がいるから分かる事がある。 という事は批判するより感謝しなさい。 他人が正しいかどうかより、自分が正しいと思う事をしっかりとやる!

『一大事は今日只今の心なり(いちだいじはきょうただいまのこころなり)

イメージ
【滅びの呪文】 バルス ‼️ と言えば ラピュタの滅びの呪文ですね。 人類にも滅びの呪文があるのだそうです。 それは 「めんどくさい」と言う言葉だと聞きました。 なるほど、確かに何でも、「めんどくさい」と思ったら良い結果に繋がりません。 「めんどくさい」ものは、本来やりたくないんです。 でもやらなきゃならないもの … イヤイヤやって良い結果が出ることはあまりないですね。 禅の言葉に 『一大事は今日只今の心なり』(いちだいじはきょうただいまのこころなり) という言葉があります。 「大事なのは、今目の前の事だよ」って事です。今目の前で起きる事の積み重ねが人生、だから今目の前の事に一生懸命にならなきゃ未来は無い」 今やらなければならないことを「めんどくさい」と言って、あれやこれやと考えて、時間を無駄に浪費してはならない 目の前のこと、「めんどくさい」と考える前にすぐ手をつける。 そしたら、めんどくさいことなんて無くなるもんです。 手をつけないと、余計にめんどくさいんだから(笑)

『楽は天堂にあらず、苦は地獄にあらず』

イメージ
随分前のことですが、息抜きの為に高見山へ樹氷を見に登っタコとがありました。 高見山は、関西のマッターホルンと呼ばれる山で、標高は 1 , 248.4m 。冬に霧氷や樹氷を見ることができる山として有名です。 雪山の登山はなかなかハードです。 特に樹氷が見られるのですから、とても激さむいのです 山頂は、手袋を脱ぐと指先が瞬く間に冷たくなり激しい痛みに襲われます。 しかし景色は最高です。 帰りは温泉に入ってあったまって帰ります。 まさに天国と地獄(笑) 禅の言葉に 『楽は天堂にあらず、苦は地獄にあらず』 と言う言葉があります。 楽は必ずしも天国にあるわけじゃない、苦しみだって地獄にしかしないわけじゃないって意味です。 心を許しあえる友、あるいは分かり合える家族と一緒にいる時は天国でなくても楽しいです。 逆に身近な人と、分かり合えない関係だと地獄に居なくても苦しいですよね。 いくら長い付き合いで、お互いの気持ちが繋がっていると思っていても …… 仲たがいしてしまうことは簡単な事です。 しかもそのほとんどは誤解なんでしょうけどね。 そうなったら本当に辛い だからこそ、自分の心に曇りがあってはならない 信じる心・感謝する心、つまりは素直な心が大切なのだと思うのです。

『至道難しきことなし 唯だ揀擇を嫌う』 (しどうむずかしきことなし ただけんじゃくをきらう)

【自分らしく生きる】 昔むかしの若い頃は 自分らしさとか、個性とかを求めていた 自分らしい選択 自分らしい働き方 自分らしい考え方 でも本当は何をもって「自分らしい」と言うのか?それすら分からなかったのに(笑) だけど、人生も少し長く続けて行くと 自然と「自分らしく」なるもので 今では、なんとなく 「自分らしく仕事をして」 「自分らしく人と付き合って」 「自分らしく生きている」気がします。 それは、もしかしたら、無い物ねだりをしなくなったからかもしれません。 無い物ねだりをしないと、今の自分が持っているものに目を向けることになる。 自分が持っているものを知れば、それを活かす事は、そんなに難しい事じゃない。 禅の言葉に 『至道難しきことなし 唯だ揀擇を嫌う』 (しどうむずかしきことなし ただけんじゃくをきらう) 至道とは、悟りに達する道 揀擇とは、選り好みすることだそうです。 悟りの道は難しいことは無いのだけど、選り好みしだすと、難しいことばかりになるという事 人は、選り好みする程いろんなものをもっていないけど選り好みする。 それが「無い物ねだりだ」 今ある物に目を向けて、感謝すると、その活かし方が分かるのではないだろうか? 僕はまだ全然できてないけど(笑) でも少なくとも「自分らしく」はできるようになってきた気がする。

『真玉泥中異』しんぎょくでいちゅうにことなり

人の不幸は他人との比較から始まる。 と言う事をよく聞きます。 同じ仕事をしてるのに、業績が自分とは比べ物にならない とか 会社経営にしても、業績をあげている会社の事が羨ましくなったり、自分は不甲斐ない … なんて思ったり 禅の言葉に 『真玉泥中異』しんぎょくでいちゅうにことなり と言う言葉があります。 本当の宝石は泥の中にあっても輝きを失わないという意味。 いろんな境遇があります。 うまくいかないこともあります。 何をやってるのかわからなくなるようなことも … でもそんな中でも、自分を信じて一生懸命に取り組み続ける姿勢は、泥の中の宝石のように輝いているものです。 他人と比べたり、将来を悲観したりしても、何も変わらない。 それよりも、自分を信じて 今、目の前のことに一生懸命になる そんな姿をみんなはほっとかない。 だから明日も一生懸命! 素敵な 1 日を過ごしましょう

『看脚下』かんきゃっか

『靴を揃える』 素晴らしい事ですね。 靴は履いている時の美しさもさることながら 脱いだ後のたたずまいが、その人の人格を表す と言っても過言ではないと思います。 僕も訪問先で靴を脱ぐときは、その後、誰に見られても恥ずかしくないように心がけています。 それは、靴が好きという事もありますが、若い頃に師匠にしつけされた事も影響しています。 なのに、その靴が乱れてしまう事があります。 それは自宅の玄関(苦笑) 全力で仕事をした時は特にそうなります。 疲れ果てているから…… というわけではなく 限界まで頑張ったと自分で思った時に つい甘えが出るのだと思います。 緩むんですね。 「こんなに頑張ったんだから、少しくらいいいだろう」 とか  「明日も仕事を精一杯やるのだから少しくらいは仕方ない」 という考えなのだと思います。 自分のことながら恥ずかしいです。 禅の言葉に 『看脚下』かんきゃっか と言う言葉があります。 「自分の足下をみよ」という意味ですね。 お寺の玄関によく書いてますが、靴を揃えなさいって意味だけでは無く いろんな意味で、足下をみよと言っているのですが 僕は心が整っているか?と問われていると感じます。 よそ様に伺った際、他人様に見られる時は靴が整っている。 でもそれは本来の自分で有りません。 本来の自分が出るのは誰にも見られていない時 そう自宅の玄関 そんな時に、自分の靴は整っていますか? と、訪ねられているのです。 自宅で脱いだ靴を見れば、いろんな事がわかります。 そこにはまだまだ未熟な自分の姿がある。 そんな事に気付かせてくれる言葉 『看脚下』

『結果自然成』(けっかじねんになる)

去年から取り組んでいるいくつかのことを 今年は形にするべく 思い切って動いています。 でも時折「本当にできるのか?」なんて 自問自答してたりして … そうすると、動きも鈍るものです。 何考えてるんだか? 我ながら情けない(笑) 禅の言葉に 『結果自然成』(けっかじねんになる) というのがあります。 意味はそのまま 「やるだけやれば、やっただけの結果が得られる」 「だから、心配しなくてもいい、進めば結果はそこにある」という事 考えるより行動が大事! 身にしみる~~

『眼不自見、刀不自割』 (めはみずからをみず、かたなはみずからをさかず)

コンサルティングの仕事をしていると 日々色んな方のご相談をお受けします。 アドバイスを求められるこも多く 色んなアドバイスや提案をさせていただきます。 そんな日々の中で、こんな事を感じてしまう事があります。 「このアドバイスは、自分にも当てはまる」(笑) 人は自分以外の人の事を客観的に見る事はできますが、自分の事を客観的に見る事は難しいですものです。 禅の言葉に 『眼不自見、刀不自割』 (めはみずからをみず、かたなはみずからをさかず)という言葉があります。 眼は自らを見れないし、刀は自分を切ることは出来ないと言う事 本当の意味で、自分の事を客観的に見る事は出来ない。 けれど、他の誰かを通して自分を客観的に見る事は出来ます。 たくさんの人と関わり、自分を少しずつ知る 自分の事を少し知れば、見える世界が少し違って見える。 それって喜ばしい事だと思う それが生きるってことなのかも知れない

『花謝樹無影』はなしゃしてきのかげなし

ひとつ山を越えると、また地道な努力を続ける事になる。 仕事が上手く回り出したと思ったら、またしんどくなる時も来るものです。 少し上手く行くと「後はなんとかなる」なんてものじゃない 何にでも春があれば冬もある。 禅の言葉に 『花謝樹無影』はなしゃしてきのかげなし と言う言葉があります。 冬に花が全て散ってしまった木は、まるで死んでしまったかのようですが、春になればまた花を咲かせる。 冬の間は、春に花を咲かせるための充電期間だって事 自分が何の為にやっているのかが分かっていれば 春にはきっと花を咲かせる。 なんでもきっと同じなんでしょうね。 「あわてな~い、あわてな~い」

『鉄樹花開二月春』てつじゅはなひらくにがつのはる

忘れられない言葉 もう 15 年程前の話です。 新社会人になった時にお世話になった専門商社での話です。 若手を集めて勉強会を開催しました。 それが何故か会社で注目を浴びて、協力していただける人が増えたころ ある上場企業の役員の方に、オブザーバーとして勉強会に参加していただきました。 その方は創業後、まだ間もない会社を今では 3000 億企業にまで育てた方でした。 その方は勉強会を立ち上げた僕に、こんな言葉を贈ってくださいました。 『 5 年という歳月は困難を可能にし 10 年という歳月は不可能を可能にする』 今でも何かを始める時はこの言葉を思い出します。 禅の言葉に 『鉄樹花開二月春』てつじゅはなひらくにがつのはる 鉄樹とは、生命力を失った古木のこと。そんな古木でも厳しい冬を越えた後に花を咲かせると言う意味だそうです。 どんなに無理に思えたとしても、正しい努力を続ければ実現する。 実現可能な事だけをやると決めて計画する。 それも良い でも、たくさんの人が不可能と思った事を可能にする方がワクワクする。 今は、誰も理解してくれなくも良い そもそも理解される事が目的じゃないでしょ 自分だけが目指すものがあるなら ワガママにやれば良い 10 年あれば間に合うから

『春枝頭に在ってすでに十分』(はるしとうにあってすでにじゅうぶん)

「お隣の芝生は青い」ということわざがあります。 本当によく見えるんですよね。 そんなのを見ると、僕も!私も! なんて、慣れないことを始める いろいろさまよってやっては見ますが、最後は本業が一番だって事になる。 仕事に限らず こんなことはよくあることです。 『春枝頭に在ってすでに十分』(はるしとうにあってすでにじゅうぶん) 春の訪れを感じようと、あちらこちらとさまよって見たが見つからず、くたびれて家に帰ると、庭の梅の木に花が咲いていた時の言葉だそうです。 春はすでにあったという事です。 幸せを探すのも同じですね あれやこれやと幸せになるために求めます。 でも、幸せは外に出向いて探してるうちは見つからない。 すでにあるものだと気がつくものだからです。 本来ある事に気付い事が大切だと教えてくれますね。

『魚行水濁鳥飛毛落』(うおゆけばみずにごりとりとべばけおつ)

「憂鬱な一日」 随分前の話ですが 何をやっても気分が乗らないという日がありました。 何かあったというわけでもないんですけど 年に 1 ・ 2 回程度そんな時があるんです。 ちょうどその日もそうでした。 そんな時に、前から 1 人の女性が、笑を噛み殺しながら嬉しそうに歩いてきたんです。 「あの人、よっぽどいいことがあったんだな」って思うと、少し楽しくなってきだんです。 そしたら、ひとりでに笑顔が溢れてきました。 笑顔になると、さっきまでの憂鬱感が消えはじめました。 人は幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せになるといいますが、本当にそうですね。 笑顔でいてもそうでなくても 自分の行動が、人に影響を与えてしまうのだから、僕も笑顔でいよう! 僕の笑顔もきっと誰かの役に立ってるだろう。 そんなふうに思いました。 禅の言葉に 『魚行水濁鳥飛毛落』(うおゆけばみずにごりとりとべばけおつ) どんな澄んだ水でも、魚が泳げば水は濁るし、鳥が飛べば毛が落ちる。 人が生きて行けば、どれだけ気をつけていても、その痕跡が残るって言うことだそうです。 生きていれば、どんなに気を使っていても、誰かの心に跡を付ける事もある。 良くも悪くも、跡が付く 今日はいつもより、笑顔でいようと思います。