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『真玉泥中異』しんぎょくでいちゅうにことなり

人の不幸は他人との比較から始まる。 と言う事をよく聞きます。 同じ仕事をしてるのに、業績が自分とは比べ物にならない とか 会社経営にしても、業績をあげている会社の事が羨ましくなったり、自分は不甲斐ない … なんて思ったり 禅の言葉に 『真玉泥中異』しんぎょくでいちゅうにことなり と言う言葉があります。 本当の宝石は泥の中にあっても輝きを失わないという意味。 いろんな境遇があります。 うまくいかないこともあります。 何をやってるのかわからなくなるようなことも … でもそんな中でも、自分を信じて一生懸命に取り組み続ける姿勢は、泥の中の宝石のように輝いているものです。 他人と比べたり、将来を悲観したりしても、何も変わらない。 それよりも、自分を信じて 今、目の前のことに一生懸命になる そんな姿をみんなはほっとかない。 だから明日も一生懸命! 素敵な 1 日を過ごしましょう

『窮すればすなわち変じ、変ずればすなわち通ず』(きゅうすればすなわちへんじ、へんずれば、すなわちつうず)

人が成長する時って 『ピンチ』を乗り越えた時です。 失敗して⇨自分でピンチを招く 自分以外の理由でピンチを招く事もある 禅の言葉に 『窮すればすなわち変じ、変ずればすなわち通ず』きゅうすればすなわちへんじ、へんずれば、すなわちつうず と言う言葉が有ります。 困難な壁にぶつかれば、本気で考える 本気で考えれば、その困難は乗り越えられる そう教えてくれます。 『ピンチは、成長のチャンス』 今日も素敵な 1 日を …

『空即是色』(くうそくぜしき)

誰にでも毎日の日課というものがあるかとおもいます。 私の日課は、朝のトイレ掃除と、お勤め(読経)です。 トイレ掃除は、自分の心を掃除する為 お勤めはご先祖様や、生前にお世話になった方々への感謝の為 寝坊した時はサボりますが …… (笑) そのお勤めの中に般若心経があります。 般若心経はなかなか奥の深いお経で 仏教徒であれば宗派によらずこのお経が読まれるのではないでしょうか それだけ本質的な事が書いてあるんですね その般若心経には次のような一節があります。 『空即是色 』くうそくぜしき という言葉です。 禅語として用いられる事もあるようで 意味は 『空』とは実体がないこと 『即』とは対立する二つの現象が実は同一であること 『是』とはこれと言う意味です。 『色』とは物体や現象のこと 眼に映るものと捉える事もできると思います。 目に見える物体や現象は、見えるけど存在しない⁇ 僕はこの言葉を次のようにとらえています。 「そこに見える物や現象は自分の心が『今』という瞬間に映し出しているだけで、本来存在はしていない」 悲しい事がおきたのは、自分の心が現実世界に悲しい出来事を映し出した。 嬉しい事が起きたのも同じ そう考えると、自分に対して客観的になれます。 この世の中の全ては、今その瞬間にあるだけで、永遠には無い まさに『諸行無常』 悲しい事があっても 辛い思いがあっても それは今あなたがそう感じているだけ 本当はそんな物は存在しない だから何も心配しなくても … いいんです ✨ 不安な心はまた不安な現象を映し出す事になるだけだから 人生なんて一瞬の瞬き どうせなら、精一杯楽しく過ごしたいです

『名利共休』(みょうりともにきゅうす)

前々から凄く惹かれる禅語があります。 『名利共休』(みょうりともにきゅうす) 名とは、名誉名声 利とは、利益この場合金銭的な財産 休とは、止める。断ち切る。 という意味なんです。 この言葉を見て、千利休の名前の由来なのかな?って思ったのがきっかけなんですが 利休の名前の由来なのかどうかは分からません。   なぜかこの言葉に惹かれました 少し前までは私も 成功したい、人から羨ましいと思われたい いい車に乗りたい、いい時計が欲しい、海外旅行に行きたい そんなことを考えていました。 その頃って、しんどかったんですよね。 無理しなくてはいけないし、我慢しなくてはいけないし 「自分はまだまだだ」というように 自分を受け入れることができていない状態でした。 今は『名利共休』の意味がとてもよくわかります。 名誉名声を求めれば、本当にやりたいことができない お金に執着すれば、本質を見失うこともある そんなことを、一旦止めて考えたら 本当に必要なことが残る そういう意味だと捉えています。 『名利共休』とても楽な生き方だと思います。

『無功徳』(むくどく)

こんな話を聞いたことがあります。 「人間には3つの‘‘たい”がある」 1つは褒められたい 2つ目は認められたい 3つ目は役に立ちたい 誰にでもある欲求だそうです。 自己承認欲求というものでしょうか 禅の言葉こんな言葉があります。 『無功徳』(むくどく) これは、達磨大師が、インドから中国に来た時の話 当時の中国皇帝、武帝が、達磨大師にこう聞きました。 「私はこれまで寺を建て写経をし、仏典の翻訳するなど仏教興隆のために尽力してきた。さて、どんな功徳がありますかな?」 そこで達磨大師はこう答えます。 「無功徳!」 功徳など無いという意味です。 どんなに善行を積んでも、褒められたいとか、認められたいためにやったのでは価値は無いと言うことです。 なんとも寂しい気もしますが 誰かに褒められたくて頑張っているのは まだまだ小僧ということです。 自分が何のために、何を努力しているのかがわかっていれば周りの評価なんて全く気にしなくてもいい 何かを期待して事にあたるのではなく、自分がやるべきだと感じたことを一生懸命にやる。 それだけです。 たったそれだけ

『莫妄想』(まくもうぞう)

私たちは、常に何かを考えます。 心配性の方は特に余計に考えます。 もっと効率的なやり方はないか?とか、立場や他人からのイメージなどなど …… その為に動きが止まる。 その他にも、過剰な心配や思い込み 過去を悔やんだり、妬んだりする事もありますね そのために心を病んでしまうことも 禅の言葉でこんな言葉があります。 『莫妄想』(まくもうぞう) 妄想するなかれ! 人は日常の中であらゆるものに心がとらわれてしまいます。 そして勝手に悩んで、勝手にしんどくなります。 幕妄想とは、そんな答えのないこと事考えてる暇があったら 信じて目の前の事に一生懸命になりなさい と気付かせてくれます。 もし、自分で答えが出せないことを考え出したら その悩みを一旦脇に置いて忘れてみる。 以外と、なんでもないことだったり、取り越し苦労だったります。 余計な事を考えずにできることから手をつければそれでいい まさに莫妄想

『廓然無聖』(かくねんむしょう)

先日お世話になっている会社にお伺いしたところこんな風にたずねられました。 「周峰さんってホントいつも嬉しそうね。今日は何か良いことでもあったの?」 実はその 5 分前に、凄く嫌なことがあったんです(笑) あんまりにも嫌すぎて …… 引きずりたく無いし 「は~ぁ」ってため息をついてから 満面の笑みで扉を開けた瞬間に さっきのようにたずねられました。 僕「すごく嫌なことがあったんです(笑)」 「え~~、てっきり良いことがあったのかと思った」 僕は嫌なことがあった時ほど気持ちを切り替えて笑顔でいる。 そしたら、嫌なことも気にならなくなる。 あの人はなんであんな事言ったのかな? とか 僕って一体なんなんだろう? なんて、答えないからね(笑) あったとしても、知ったところで大して人生は変わらない それより笑顔でいた方が良い気がする。 禅の言葉にこんな言葉があります。 『廓然無聖』かくねんむしょう 達磨大師の、言葉で『廓然』とは、晴れ渡った空『無聖』とは、特別なものすらも何もないという意味 人間ってなんだかんだと、案じたり、傷ついたり、心を悩ませたりします。 でも本当は何もないんです。 いい加減になれってわけじゃないよ 全ては晴れ渡った空と同じ 何も無い あるように思って、あるように振舞ってるだけ 辛い事があった? そっか(笑) 大丈夫! 笑顔でいればそのうちなんとかなる(笑) 心の天気は自分で自由に選択できます。 外で雨が降ってるからって、心に雨を降らせる理由にはならない。 素晴らしく澄みきった空を思い出して爽やかに ……

『歩々是道場』(ほほこれどうじょう)

若い頃は良く本山(金峰山寺)へ修行のに行かされました(苦笑) ※ 禅寺ではありません 本山では、年輩の先生方もいて、若い僕はよくこんな事を言われたものです。 『山の行より里の行だぞ』 本山でしか学べないこともあるけれど、「里」つまり日常の生活の中での修行の方が大事と言う意味です。 禅の言葉に 『歩歩是道場』ほほこれどうじょう という言葉があります。 これは、心がけ次第でどんなところでも修行の場となると言う意味で、里の行と同じですね。 僕たちは、やたらと区切りや、整った環境を気にします。 そしてそれらが準備できてから、何かに取り組むとする。 例えば、元旦から頑張るぞ! とか 新しい オフィス が準備できてから とか まずは人を迎え入れるコンサルティングルームが必要だとか なんだか、やる前に色々必要な気がするでしょうね。 でも本当は「山の行より里の行」 今できる形で日々取り組んでいくことの方が大切だし その積み重ねがその環境や、区切りを作ってくれるのだと思います。 形から入ることも大事な時もあります。 でもその形ができていないから、本来の修行を行わないのでは、何も始まらない。 今できることから取り組まなければ そう思います。