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『世の中に我れぞ悟ると自慢して 名利求むる人の多さよ』

「昔は、謙虚で真面目な思い遣りのある人だったのにね」 「いつの間にか変わったなぁ」 先日こんな会話を耳にしました。 こう言われる人は、人から『先生』と呼ばれてる人に多い気がします。 (この場合学校の先生じゃなくて、僧侶、政治家、士業の人ね) 禅の言葉に 『世の中に我れぞ悟ると自慢して 名利求むる人の多さよ』 という言葉があります。 一休さんの言葉です。 悟った人間だと自負しても、それを持って名利を求める者がいる。 そんな矛盾を嘆いたのだと思います。 そもそも、悟りを開いたものは名誉も利益も求めない 人は立場が上になったり、権力を持ったりすると、いつの間にか『名利』つまり名誉と利益を求めるようになる。 それは人間の弱さなのかもしれません。 また、人は自分の実力以上に力やお金を持つと自分を見失うものなのかもしれませんね。 誰にでも起こる事です。 あの人は変わってしまったなんて言われないように いつも謙虚に、初心を忘れないようにしたいと思います。

『門松は冥土の旅の一里塚』 (かどまつはめいどのたびのいちりづか)

先日、甥っ子の誕生日でした。 10歳になったとのこと 自分の10歳の頃は何をしていたかなぁ と物思いにふけりつつ 私は40歳を超えましたが 未だに誕生日はなんだか嬉しくなります。 禅僧の一休宗純の歌にこんな言葉があります。 『門松は冥土の旅の一里塚』 (かどまつはめいどのたびのいちりづか) 門松は正月を意味しています。 一里塚は距離を示す目印のこと これは、正月はめでたいめでたいというけれど また一年歳をとると言う事(冥土に近づく) 本当に、めでたいのか? 嬉しいと浮かれてばかりいてはいけない、残りの人生をどの様に生きていくのか? そう問いかけられているようです。 誕生日も同じでだと思います。 嬉しいと浮かれてばかりいてはいけない、残りの人生をどの様に生きていくのか? そう問いかけられているようです。 この歌にはこの後、「めでたくもあり、めでたくもなし」と続きます。 確かに …… (笑)

『有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)へ帰る一休み雨ふらばふれ 風ふかば吹け』

「一休さん」の言葉にこんな言葉があります。 『有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)へ帰る一休み雨ふらばふれ 風ふかば吹け』 一休さんの名前のきっかけになった言葉です。 有漏路は、迷い、囚われている姿 無漏路は、悟りの姿 人は本来仏性を持って生まれて来るのだから悟りの世界にいた。 しかしこの世に生まれて迷い囚われる。 そして本来ある無漏路へ帰る途中(輪廻)の休憩が今だ。 そんな一瞬の今世、雨風が吹いてもそれもまた一瞬の出来事。 大したことはない、という意味だそうです。 「辛い時間も永遠には続かない」 だから、そんなに悩まなくてもいい また「この世にいる人間は、みんな有漏路を生きている」 だから、あなたと、大して変わりない(笑) そんな風に受け取ってます。

『おさな子がしだいしだいに知恵づきて 仏に遠くなるぞ悲しき』

「最初の頃は、純粋に楽しめた」 私は、釣りが趣味です。 最初の頃は、どんな魚でも釣ることが楽しかったものです。 でも、次第に欲が出てきました。 もっと大きな魚を、もっと高級な魚を 人から「すごい」といってもらえるような魚を 釣りたい! いつしか、小さな魚が釣れても 「こんな魚食べれない」とか ファミリーフィッシングなんて付き合ってられないとか 本当の釣りの楽しさを見失ってしまう これは釣りに限ったことではありません 仕事においても、家族においても 知らないうちに欲が出るんです。 もちろん向上心やチャレンジ精神は大切です。 でも、初心もとっても大切です。 こんな詠があります。 『おさな子がしだいしだいに知恵づきて 仏に遠くなるぞ悲しき』 一休さんが、着飾った、形ばかりの中身の無い、物欲と出世欲に囚われた当時の僧侶を痛烈に風刺した詠です。 幼い子供の頃は純粋な心で生まれてきます。 でも、大人になるにつれて常識と言う枠にとらわれ、要領や世渡りを覚え、本来持っていた純粋な部分を失ってしまう事を悲しんでいるんですね。 室町時代の詠です。 僧侶に限らず、今の世の中にも当てはまることですね。 何のために始めたのか? 今、改めて自分に問う