『看脚下』かんきゃっか

『靴を揃える』

素晴らしい事ですね。

靴は履いている時の美しさもさることながら

脱いだ後のたたずまいが、その人の人格を表す

と言っても過言ではないと思います。

僕も訪問先で靴を脱ぐときは、その後、誰に見られても恥ずかしくないように心がけています。

それは、靴が好きという事もありますが、若い頃に師匠にしつけされた事も影響しています。

なのに、その靴が乱れてしまう事があります。

それは自宅の玄関(苦笑)

全力で仕事をした時は特にそうなります。

疲れ果てているから……

というわけではなく

限界まで頑張ったと自分で思った時に

つい甘えが出るのだと思います。

緩むんですね。

「こんなに頑張ったんだから、少しくらいいいだろう」

とか

 「明日も仕事を精一杯やるのだから少しくらいは仕方ない」

という考えなのだと思います。

自分のことながら恥ずかしいです。


禅の言葉に

『看脚下』かんきゃっか

と言う言葉があります。

「自分の足下をみよ」という意味ですね。

お寺の玄関によく書いてますが、靴を揃えなさいって意味だけでは無く

いろんな意味で、足下をみよと言っているのですが

僕は心が整っているか?と問われていると感じます。

よそ様に伺った際、他人様に見られる時は靴が整っている。

でもそれは本来の自分で有りません。

本来の自分が出るのは誰にも見られていない時

そう自宅の玄関

そんな時に、自分の靴は整っていますか?

と、訪ねられているのです。

自宅で脱いだ靴を見れば、いろんな事がわかります。

そこにはまだまだ未熟な自分の姿がある。

そんな事に気付かせてくれる言葉

『看脚下』

人気のある禅語

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「心こそ 心迷わす心なれ 心に心 心許すな」

『好事不如無』こうずもなきにしかず

『山是山水是水』(やまこれやま みずこれみず)

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