『鏡分金殿燭』(かがみはきんでんのしょくをわかつ)
お寺の行事などで、年中色んな方とお会いします。
有名なお寺で修行された方や、師僧が大変立派な方である人もおられます。
こう言った方のお話は、興味深く大変勉強になるものです。
でも、同じようでも全く聞きたくないおはなしをされる方がおられます。
「私は、どこどこの寺で…誰々の元で修行して…」
「〇〇寺の〇〇さんはダメだと私の師匠方が言っていた」
と言ったお話をされる方です。
自分を高く見せたいのか、大袈裟な話をしたり
他者を低く見せる様なお話をされます。
「もっとご自身の事(経験した事、感じた事)などを話してくれれば楽しいのにな」
そんな時にこんな禅語を思い出します。
『鏡分金殿燭』(かがみはきんでんのしょくをわかつ)
という言葉があります。
鏡は、美しい宮殿や、装飾された燭台を写すけど、自分は鏡だとわかっていると言う意味だそうです。
立派な人の輪の中に居れば、まるで自分もそうなったかのように感じてしまう事があるかもしれない。
でもそれは全く違う
かといって、反対に周りの人と自分を比べて卑屈になれ、と言うのではなく
自分は自分
それ以上でも、それ以下でも無い
「自分を知る」それが大切なのだと思います。