『百華春至って 誰がためにか開く』(ひゃっかはるいたって だれがためにかひらく)

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押してもらうと嬉しいとなると、反対に押してもらえないと淋しくなるわけです(笑)
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私が毎日書いている。

《自分に贈る禅の言葉》はホントに自分の為に書いてます。

落ち込んだ時、調子に乗っている時など、心が揺れている時に禅の言葉は、本質を教えてくれます。

禅の言葉に
『百華春至って 誰がためにか開く』(ひゃっかはるいたって だれがためにかひらく)
という言葉があります。


春になって花がいっぱいに咲きます。
それは誰のために咲いているのか?と自問しているのだそうです。


本当の答えはわかりません
でも私はこう思います。
花は誰かのためになろうと思って咲いてはいない。
でもそこに咲いていることで、誰かのためになっている。


時にはそんな花のような存在でいたいな

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